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Prologue
「80年代、世は高度経済成長真っ只中、当時の外食産業といえばチェーンの業態が流行りだしたのもこの頃、「居酒屋」ブームのはじまりだ。父親が外食産業従事していた影響もあり物心ついたころから試食や外食などよく連れて行ってもらっていたのだが今考えてみると当時外食はまだまだ一般的ではなく、世の中の「食に」対する意識は変わっていった。そう僕個人的にも父親の仕事の影響そのものな生活だったと思える。」

16歳、世の中バブル崩壊前父親の影響から料理の道を志すことに。
京料理を基本に東京・九州などで料理の勉強をはじめる。
26歳、目標はあくまでも飲食店経営、料理は必須ではあるがすべてではない。
スナックのバイトや飲食コンサルの経営勉強会、選挙事務所などに携わりながら地元佐賀に念願の飲食店出店。
人生の転機な31歳、生活する上では何不自由ない完成された生活環境だったのだが
もう一回だけ自分を試してみたい、そんな思いが高まり必然的とも言える縁を頼りに単身中国へ。

世界は広い…当たり前のことだがこの当たり前が感じ取れなかった自分がいたのだ。
自分の甘さを反省し前向きに生きる勉強にもなった中国生活。
新たな人生のスタートを中国での日本料理店出店という形ではじめた。
〜日本から中国、そして台湾へ〜
運と縁で生かされていると言っても過言ではない今の生活。
中国生活の中で繋がった一つの縁のもと台湾での日本料理屋開業の話が舞い込む。
2008年7月、台湾の地で日本料理店を開店し現在に至る。
台湾人や日本人からもよく質問されることがある。
「何故台湾へきましたか?」
「楽しそうだからですよ。」
決まって僕はこう答える。

16歳、世の中バブル崩壊前父親の影響から料理の道を志すことに。
京料理を基本に東京・九州などで料理の勉強をはじめる。
26歳、目標はあくまでも飲食店経営、料理は必須ではあるがすべてではない。
スナックのバイトや飲食コンサルの経営勉強会、選挙事務所などに携わりながら地元佐賀に念願の飲食店出店。
人生の転機な31歳、生活する上では何不自由ない完成された生活環境だったのだが
もう一回だけ自分を試してみたい、そんな思いが高まり必然的とも言える縁を頼りに単身中国へ。

世界は広い…当たり前のことだがこの当たり前が感じ取れなかった自分がいたのだ。
自分の甘さを反省し前向きに生きる勉強にもなった中国生活。
新たな人生のスタートを中国での日本料理店出店という形ではじめた。
〜日本から中国、そして台湾へ〜
運と縁で生かされていると言っても過言ではない今の生活。
中国生活の中で繋がった一つの縁のもと台湾での日本料理屋開業の話が舞い込む。
2008年7月、台湾の地で日本料理店を開店し現在に至る。
台湾人や日本人からもよく質問されることがある。
「何故台湾へきましたか?」
「楽しそうだからですよ。」
決まって僕はこう答える。
お知らせ
2008年7月より「日本人が働くお店」としてOPENしました典座三心日本料理ですが
2009年4月をもちまして日本人の私は日本へ帰国することになりました。
台湾在住でのブログ活動としたこのブログは残念ながら閉鎖といたします、
ご愛読誠にありがとうございました、また違う地にて新たなブログ計画中です。
2009年4月をもちまして日本人の私は日本へ帰国することになりました。
台湾在住でのブログ活動としたこのブログは残念ながら閉鎖といたします、
ご愛読誠にありがとうございました、また違う地にて新たなブログ計画中です。
相違工夫
「食」という人としての共通な行為を日本料理というソフトで勝負をしにきた台湾生活、
せっかくの台湾生活、習慣や文化の違いを楽しむのもストレスヘッジの必須項目だ。
【街】台湾と日本、複雑な台湾の歴史からも伺える不思議な魅力がある、
日本人なら外国っぽくないと感じることも多々有るのもやっぱり不思議だ。
【人】これは以前の中国の頃もそうだったのだが「日本人」「台湾人」などと十把一絡げには語れない、有る意味少なくても「文化」がどうと言う話しでは無く個々の「生活習慣」や「環境」により独特の個性が存在するのだろう・・・
【文化】台湾独自の文化!とはなかなか発見できない、アメリカの香りや日本の香り、中国の香りも醸し出しながらよく言えば融合している、そんな風に受け止められる。今の僕の生活環境。
まだまだ未知の文化があるやもしれない、探索が足りない、そんなとこだ。
簡単に思い立った3つの事柄、僕ら日本人から見たらやはり「似て非なる国」であると最初に感じた時から今もそう思う。この違うと感じる点と点いかに上手に繋げていくかで台湾生活は面白いものにもつまらないものにも感じる、そんなリアルな台湾生活満喫中。
表立った俗物は非常に少ない台湾は自分の時間を有意義に使える海外生活の醍醐味だ、だが海外生活で日本人としての苦になるようなストレスも感じられない・・・
日本人にとっては凄く住みやすい、生活しやすい街であるということだろう。
せっかくの台湾生活、習慣や文化の違いを楽しむのもストレスヘッジの必須項目だ。
【街】台湾と日本、複雑な台湾の歴史からも伺える不思議な魅力がある、
日本人なら外国っぽくないと感じることも多々有るのもやっぱり不思議だ。
【人】これは以前の中国の頃もそうだったのだが「日本人」「台湾人」などと十把一絡げには語れない、有る意味少なくても「文化」がどうと言う話しでは無く個々の「生活習慣」や「環境」により独特の個性が存在するのだろう・・・
【文化】台湾独自の文化!とはなかなか発見できない、アメリカの香りや日本の香り、中国の香りも醸し出しながらよく言えば融合している、そんな風に受け止められる。今の僕の生活環境。
まだまだ未知の文化があるやもしれない、探索が足りない、そんなとこだ。
簡単に思い立った3つの事柄、僕ら日本人から見たらやはり「似て非なる国」であると最初に感じた時から今もそう思う。この違うと感じる点と点いかに上手に繋げていくかで台湾生活は面白いものにもつまらないものにも感じる、そんなリアルな台湾生活満喫中。
表立った俗物は非常に少ない台湾は自分の時間を有意義に使える海外生活の醍醐味だ、だが海外生活で日本人としての苦になるようなストレスも感じられない・・・
日本人にとっては凄く住みやすい、生活しやすい街であるということだろう。
変化=対応
日本の90年代バブル崩壊から約20年、飲食店の業態もニーズ、付加価値などが求められ様々に変化してきたと思う。さらには近年日本ではファミリーレストラン業態の縮小化、よりクオリティとCPが高く求められている飲食業界、和食店や割烹店などの業態も大きな変革期に差し掛かってきた、そんな日本の外食産業。
顧客満足度を得る=サービス業な定義なのは飲食店も含めより高密度に顧客とのコミュニケーションツールが必要となってくると感じる。
「伝える」こと。
日本人の習慣とは一寸違った習慣をもつ外国での飲食店生活、
日本の良いところを軸に現地の良い部分を学び融合する・・・
圧倒的に日本のサービス業主体なオペレーションになるわけなのだが
唯一日本より学ぶことは顧客の声だと最近感じる。よりリアルな声が跳ね返ってくるのだ。
現在の台湾での日本料理店出店、開店当初から現在で大きく内容を変化させてみた。
これは経営内部の事情や台中というロケーションの見直しからはじき出し少しずつ行ってきた背景をもとに今回は変化というキーワードを大きく前に打ち出した。
一年前に乗り込んだ台湾生活、当初のプランニングが今生きてきた。
中国生活でもそうだったのだが軸を提案し分かりやすく伝える・・・
同じ人間、良いものは受け入れられる・・・そう信じてやるだけだ。
顧客満足度を得る=サービス業な定義なのは飲食店も含めより高密度に顧客とのコミュニケーションツールが必要となってくると感じる。
「伝える」こと。
日本人の習慣とは一寸違った習慣をもつ外国での飲食店生活、
日本の良いところを軸に現地の良い部分を学び融合する・・・
圧倒的に日本のサービス業主体なオペレーションになるわけなのだが
唯一日本より学ぶことは顧客の声だと最近感じる。よりリアルな声が跳ね返ってくるのだ。
現在の台湾での日本料理店出店、開店当初から現在で大きく内容を変化させてみた。
これは経営内部の事情や台中というロケーションの見直しからはじき出し少しずつ行ってきた背景をもとに今回は変化というキーワードを大きく前に打ち出した。
一年前に乗り込んだ台湾生活、当初のプランニングが今生きてきた。
中国生活でもそうだったのだが軸を提案し分かりやすく伝える・・・
同じ人間、良いものは受け入れられる・・・そう信じてやるだけだ。
